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2007/03/12

「いのちに抱かれて」 崖っ縁ばんえい競馬からの再生物語

Inochi_ni_dakarete東京国際映画祭でグランプリを受賞、昨夏には全国公開され話題を集めた映画「雪に願うこと」の原作小説「輓馬(ばんば)」の著者・鳴海章氏の手による待望の新作が発刊された。「いのちに抱かれて-楓子と大地の物語」と題された本作は、350頁とボリュームもたっぷりな長編小説だ。
「いのち」という平仮名が思わず目を引くソフトなタイトル。パステル調の水彩で描かれる優しいタッチのカバーデザイン。いかにも女性読者に好まれそうな柔和な装丁を纏ったハードカバーを普通の人が書店で手に取っただけでは、そのなかに血湧き肉躍るばんえい競馬の世界が広がっているとは、とても想像できないだろう。しかしご安心あれ。「崖っ縁からの癒しと再生を描く、北の大地の感動物語!」と銘打たれた本作の中身は、前作「輓馬」でも描き出された、ばんえい競馬を取り巻く人々のリアルな息遣いを濃密に伝えてくるような、鳴海ワールドそのものである。

物語は、都会生活に疲れた三十歳のOL・楓子が、父の死をきっかけに生まれ故郷である帯広の馬産農家に戻ってくるところから始まる。実家の馬産に対しては全く無関心であった主人公が、身体が小さく競走馬になれるかどうかが危ぶまれながらも非凡な素質を秘める輓馬ダイチとの出会いを機に、廃業寸前の家業を引き継ぐことを決意。輓馬の世界を取り巻く人々との触れあいを通じて、強い馬づくりに心血を注いだ生前の父の情熱を知り、一歩づつ前進を始める・・・・それが本書のあらすじなのだが、頁をめぐりストーリーの展開を追いかけていくうちに、これとよく似た物語があることに気がついた。10数年前、全国に日本酒ブームを巻き起こした名作マンガ「夏子の酒」がそれだ。

Natsuko_no_sake蔵元の家に生まれたコピーライター夏子が、兄の死をきっかけに故郷に戻り、兄の遺した幻の米「龍錦」を育て日本一の酒造りに挑む・・・・「夏子」を「楓子」に、「」を「」に、幻の米「龍錦」を、伝説の名馬の血を受け継ぐ輓馬「ダイチ」に置き換えてみると、2つの物語の骨格はほんとうに相似している。それだけではない。酒造りの屋台骨を支える新潟の米づくり農家の置かれた状況にまで踏み込んで、現場が直面する悩みや矛盾を包み隠さず描き出したという意味で、「夏子の酒」は本格的農業マンガとしてもエポックメイキングな作品になったが、それと同様に「楓子とダイチの物語」においても、十勝の馬産農家をめぐる苦境がリアルな筆致で語られているのだ。

「馬って、いくらくらいで売れるの」
「ピンキリだけど、今だと四、五十万なんてのもある」
丈晴の表情がさらに厳しくなる。
「だけど、それはばんえい競馬に出られる馬の話。競りで馬主がつかんかったら、ひらたくいえば、売れんかったら馬は阿蘇へ(食肉用として)送られるんだ」
(中略)
「馬肉にする馬は、一キロ千円くらいで買われる。だから七百キロの馬なら一頭七十万円になるわけだ」
「何よ、競走馬より高いじゃない」
思わず声をあげたが、丈晴は黒い馬に目をやり、顔を撫でてやった。
~「いのちに抱かれて-楓子と大地の物語」より引用

馬に買い手がつかず、赤字経営で後継者もいないため、馬生産をやめていく農家が増えていく。競走馬専業だけでは経営を維持できず、酪農やめん羊など収入の柱になる品目を別にもたなければ、食べていくことさえ難しい状況だ。それでも経営を続ける農家は、馬を飼い続ける。なぜならば、十勝・道東地方に暮らす人々にとって、馬がそこにいるのは、水や空気のように当たり前のことなのだから、と作者の鳴海氏は先頃放映された「競馬ワンダラー~ばんえいに恋して」のなかでも語っていた。「大変な危機にある生産農家を何とか守らなければ、ばんえいの将来はない」(十勝毎日新聞 2007.03.07ばんえい競馬再生への提言より引用)そんな鳴海氏の状況への危機感がこの物語を生み出す強い原動力になっている。
果たして名作「夏子の酒」とも共通する物語のフレームが、意図的な本歌取りかどうかはわからないけれど、ややもすれば都会人の目線から牧歌的なイメージだけで語られてしまうことが多いわが国の農村の現況を、できる限り等身大で伝えようとするなら、都会人(楓子)が農村の暮らしに身を投じる構成を取ること自体、必然というべきだろう。
ここは、鳴海版「夏子の酒」というべき、この良質な作品を素直に楽しんでみたい。

もうひとつ本作を語るうえで、欠かせないのは昨年の11月突如として沸き起こった「ばんえい競馬の存廃騒動」をめぐる一節が、単行本化に際して、あえて加筆されていることだ。当時は、作者の鳴海氏自身、競馬場に隣接した駐車場に団結小屋を設置して、競馬存続に向けた運動に身を投じた経緯があるけれど、そんな事情が当事者の立場から語られているのが非常に興味深かった。「登場する人物・団体名とはすべて架空のものです」とは言うけれど、プレハブの小屋に立てこもり事務局役として奔走する「谷本調教師」の姿から、「谷あゆみ調教師」の風貌を連想してニヤリとしてしまうのは、おそらく自分だけではあるまい。東(西)騎手であるとか、関西出身の深井(浅田)騎手など、ばんえいファンにとってはおなじみの顔ぶれが署名活動に尽力する姿も描かれ、団結小屋の中でのインサイドストーリーが生き生きと伝わってくる。

前作で好評を博した迫真のレースシーンも、もちろん健在だ。とんでもないレースで言葉にできないとlandslider@地方競馬に行こう!さんも絶賛するばんえい記念の様子を見事に活写した「吹雪のばんえい記念」の章は、ある意味で本作のハイライトといえるのかもしれない。ちょっと立ち読みするだけでも感涙必至のパートなのだが、その「とんでもなさ」を味わい、体験していただくためにも、一人でも多くの読者に、この傑作を手にとってもらいたいと願う。

3月 12, 2007 書籍・雑誌 |

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コメント

ご紹介頂き、どうもありがとうございますm(__)m

何を書いてもネタバレになりそうですが^^;、あのばんえい記念の描写は誇張でも演出でもなく、毎年のようにみられるごくありふれた光景です。

最後尾の馬に拍手と歓声をおくる当日の競馬場の雰囲気、思い出しても涙が出てきそうです。

その日まで、今年もいよいよ二週間あまりになりました。もちろん、今年も現地に行く予定です。

投稿: landslider@地方競馬に行こう! | 2007/03/12 22:24:25

> landsliderさん

「吹雪のばんえい記念」・・・・脚を踏み出す。よろけてはいない。よろけたのでは、橇は曳けない。本当に涙が出るくらい素晴らしいシーンですね。今年のばんえい記念。私も中京のJRA・G1よりも、帯広競馬優先で遠征を敢行する予定です。24日から現地入りしますので、是非ご一緒しましょう。

投稿: 山城守 | 2007/03/13 1:19:02

輓馬は絶句の感動ですねー

H.P.を見て下さい。
http://www.tutumi.com/kin/

投稿: 吉岡 均 | 2008/02/19 0:32:32

「涙でピントが合わない」
そのまま、そのまま!!
お疲れ様、汗を拭いて顔を撫でたい。
頑張ったら休んでいいよ。

投稿: 吉岡 均 | 2008/07/31 19:24:37

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