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2006/01/11

再生の物語?はたまた馬券小説?文庫化された「輓馬」を読む

4167679639昨秋の東京国際映画祭でグランプリを受賞、夏には全国公開も予定される話題の映画「雪に願うこと」の原作小説「輓馬(ばんば)」が遂に文庫化された。小説の舞台となるのは、真冬の帯広で開催される「ばんえい競馬」・・・・競馬といっても、体重1トンにもなる巨漢の重種馬が鉄製の橇を引きながら、コースに設置された障害(坂)を乗り越えていく特殊な競技である。サラブレッドや競馬にまつわる話題をモチーフにした小説は数あれど、世界中でも北海道でしか見られないこのマイナーなジャンルを素材に取り上げた小説など、ほかにないだろう。それだけでも「ばんえい」そのものの存在と同じくらい稀少価値を帯びた物語といえる。もちろん、競馬ファンなら必読の一冊だ。
小説のあらすじに関しては、昨年この本のレビューをブログで取り上げた馬券日記オケラセラさんの紹介が、とても手際よくまとめられている。引用してみよう。

小説・輓馬は帯広競馬場が舞台。事業に失敗して命からがら故郷に還った男の挫折と再生の物語だ。主人公の矢崎は兄が調教師を務める厩舎を手伝うことになる。そこでの馬や厩務員たちとの交流を通じて、新たな人生に踏み出す気力を取り戻していく。
馬券日記 オケラセラさん
挫折と再生の物語 北の大地を舞台に「輓馬」映画化へから引用~

はい、これで全部です。
わずか数行の文章で、すべてを語り尽くせてしまうほど、シンプルな物語なのだ。ストーリー展開に起伏や意外性があるわけでないし、宮本輝の「優駿」のように登場人物の陰影を鮮やかに活写することで、読者を魅了してやまないというタイプの小説でもない。「輓馬」の物語は、小雪が舞い散る北海道の冬景色のように、静かに淡々と進行していく。じっくり読み進めるうちに、行間からしみ出してくるハートウォーミングな味わいを楽しむべき本なのだろう。

だが、どちらかといえば静かな全編のトーンとは裏腹に、熱い血のたぎりのようなものをガンガンと伝えてくる場面もある。たとえば、第3章で描かれるレースシーンは、やはりこの小説のハイライトといえるだろう。輓馬たちが巨体を躍動させ死闘を繰り広げる「ばんえい」の迫力を、余すところなく描ききる筆力は、白眉というほかない。

それにもう一つ、この小説の構成には注目すべき「しかけ」が施されている。
冒頭、主人公・矢崎が、競馬場で有り金すべてをはたいて馬券勝負を試みるシーンに、何と100頁以上ものボリュームが割かれているのだ(第1章・馬が笑う)。

故郷に帰った失意の男が厩舎の生活を体験するうちに、癒され再生していく・・・・それだけのお話を書くのなら、本来、不要と思われる競馬場のエピソードに、全体の3分の1もの紙幅を割くのは、明らかに構成上のバランスを欠いている。
また、このシーンには、競馬初心者の主人公をコーチする丹波という老人が登場してくるが、この人物など、その後のストーリー展開において、ほとんど何の役割も演じていない。つまり、単なる馬券オヤジによる狂言回しのようなものなのだが、彼の台詞を通じ、ばんえい競馬の「攻略法」が、異常なほど懇切丁寧に紹介されている。いわく「帯広の馬場にはロードヒーティングが施されているのだが、両端のコースは効きが悪く、凍っていることがあり、とくに朝方はその可能性が高い」とか、「第1レースで、1番枠をリーディング上位騎手が走るのなら、注目すべき」だとか(笑)
これはいったい何なのだろう?長く競馬場に足を運んでいる者同士で、密やかに共有されている秘密なのかだろうか?ちょっとマニアックに過ぎると思えるほど、瑣末なエピソードのオンパレードである。

もちろん、これら部分を通して、「ばんえい競馬」とはどんな競技なのか?を読者に理解してもらおうという狙いはあるのだろう。だが、作者・鳴海章氏が競馬場シーンにこめた「思い」は、それだけではあるまい。たとえば、道新・旭川支社のサイトで閲覧できる鳴海章氏の講演録を読んでみると、そんな「思い」が手に取るようにわかる。

旭川に来まして、きのう競馬場に寄りました。馬券を買ったのではなく、ばん馬振興の一助に、と寄付をしてきたのです(笑い)。  私の小説「輓馬(ばんば)」の映画化が決まり、本が売れましたが、みんな馬券に消えました。勝てないというのが、ばん馬の魅力のようです。特に中央競馬と違う、サラブレッドの知識がことごとく覆される面白さ。中央で馬券を買っている人たちにばん馬は本当に面白いよ、ということを知らせることも必要です。
北海道新聞旭川支社のサイトから引用~ 

そう。この人は、根っから馬券が好きな、我々と同じ人種だったのである。
そんな愛すべき人が、好きな「ばんえい競馬」を小説にするなら、たとえどんな展開になろうと、馬券の話に触れないわけにはいかない。謎の馬券オヤジ「丹波」は、何を隠そう鳴海氏自身の「分身」に他ならなかったのだ。

さらに作者の愛情が注がれる対象として描かれるのは、馬券だけではない。老朽化したスタンドに漂う空気と匂い・・・・地方競馬そのものを包む独特の雰囲気が、慈しむべき舞台装置として、「輓馬」の物語に確かな彩りを添えている。

帯広競馬場のスタンドにぼーっと座っていた。夕日を浴びながら、ふと感じたのは「匂(にお)い」だったんです。ほこりと水洗トイレに漂う鉄パイプの錆(さ)びた匂い、うどん、そば、ラーメンのつゆの匂いが渾然(こんぜん)としていた。その時、感じたんです。「ああ、駅だ」って。駅の雑踏の匂い。それが帯広競馬場にありました。「おれ帯広に帰ってきたんだなあ」って思いました。
北海道新聞旭川支社のサイトから引用~ 

時代の流れにとり残され、遠かず消滅してしまうかもしれない競馬場の風景と、そこに集う人々に対する深い共感。そんな想いが、この小説の骨格を支えている。そうである以上、100頁ものボリュームを割いて、第1章のシーンを描ききることは、作者にとって欠かすことのできない作業だったのだろう。そのせいだろうか?これを読むと、自分もついつい地方競馬に行きたくなってしまう。・・・・それだけでも、この小説のもくろみは見事に成功していると思えるし、そんな邪道な読み方までも許容してしまう懐の深さを感じる。

ところで、問題の第1章のタイトルとして名づけられている「馬が笑う」って何だ?と思った方。真相は、ぜひ本書を手にとって確かめてもらいたい。生物学的な真相はともあれ、「笑う馬」はいるのだ・・・・馬券作戦の参考になるかどうかはともかく、興味を惹かれる話題であることに違いはない。

1月 11, 2006 書籍・雑誌 |

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コメント

トラックバックありがとうございました^^

以前、記事にされていた水沢の馬場変化、水沢に行って体感してきました。
気温が上がらなかったため、シャーベット状の馬場のまま終始しましたが、これが溶けたらまるで馬場状態が変わるなぁと返し馬の時に馬場をチェックしてから予想してました。

輓馬、僕はハードカバー版を読んだのですが文庫版は加筆修正がされたと聞きます。もう一度読み返してみようと思います。ただ、仰るように、読んでしまうとたまらなく地方競馬(ばんえい競馬)に行きたくなってしまいます^^;

映画では、骨子は変わらないのですが各エピソードや構成はかなり変わっています。こう書くとネガティブなようですが、この構成変更が、小説→映画というフォーマット変更には無くてはならなかったと思わせられる凄く良い結果となっています。
帯広競馬場の馬券親父ももちろん重要な役として登場しますよ^^

投稿: landslider@地方競馬に行こう! | 2006/01/11 17:07:35

>landsliderさん

映画のキャスティングをみると、原作とはかなり違うイメージを感じるところもあったので、果たしてそれがどうかな?と思っていました。
主人公の兄=調教師が佐藤浩市?ちょっと二枚目過ぎか?とも思えますが、巧い役者さんですから、違和感なく演じているのでしょうね。
馬券オヤジの役に山崎努というのも、また渋いです。読書中、私が脳裏に描いていた丹波のイメージは、田中邦衛とか、植木等などの風貌でしたが(笑)

投稿: 山城守 | 2006/01/13 23:13:46

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