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2005/06/09

【書評】「将棋の子」 勝負の世界の気高さ・美しさ

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だいぶ前に文庫化されていたのだが、最近読んで印象に残った1冊。プロ棋士をめざす候補生たちが凌ぎを削る「奨励会」という熾烈な競争社会の敗者にスポットライトをあてた、ノンフィクションの快作である。
ノンフィクションといっても、物語の展開を追う作風は小説的で、敗れ去っていった者たちへの共感をストレートに描き出しているせいか、少々センチメンタルな印象も受けてしまう。だが、この作品の核心をなしているのは、むしろ随所に紹介されるエピソードで描かれる勝負の機微のようなものだ。

ほんのわずかな偶然と必然が、勝者と敗者を冷酷に分かつ。何10手先をも読み合うと言われる棋士同士の対局でも、秒読みに追われながら偶然に発見した一手が、勝負の帰趨を左右し、ひいては勝者と敗者のその後の人生の進路まで変えることになってしまう。そんなことが現実に起こっているというのだ。無情とも思える勝負の世界は、ある意味、ギャンブルとも通じるものが感じられ、将棋にはまったく門外漢の自分も、おもわず引き込まれるように頁をめくり続けることになった。

奨励会はプロ棋士の登竜門といわれるが、同時に棋士たちの既得権益を守るため過剰な新規参入を抑制する「産児制限的な」意味合いもあるのだという。競馬ファンの目から眺めると、競走馬の選別のしくみに酷似していると感じるが、そんなことにも興味も覚えた。たとえば、登場人物たちの人生の前に立ち塞がる「年齢制限」のシステム。基本的に26歳までに4段に昇格していないと、以後対局が許されず奨励会を去っていかなければならないというルールなのだが、まるで3歳秋の未勝利戦のようだなと感じてしまう。
運も味方せず勝ち上がることが叶わなかった競走馬たちの多くは、4歳の春を待つこともなく華やかなJRA競馬から退場を迫られることになる。地方競馬への転出か、用途変更か。はたまた経済的理由から淘汰されてしまう者も少なからずいるだろう。
これと似たような運命が、「年齢制限」の壁を破れなかったかつてのプロ候補生たちにも待ち受けている。

将棋以外に何もやってこなかった、そんな若者たちが、突然よちよち歩きの赤ん坊のような状態で世間の中に放り出されてしまうのだ。プロをめざしてきた努力は、実社会において何ら評価されるものではなく、一方で、喪失感だけは途方もなく大きい。それを埋め合わせようと、ある者はたった2週間で300万円をポーカーゲームに投じてみたり、ストリートファイトを繰り返したり、世界放浪の旅に出ていく。勝負の世界は厳しい・・・・そんな一言ではとても片づけられない現実に翻弄される若者達の、その後の人生行路を筆者はこの本の中で丹念に追いかけていく。

そして、それでも筆者は最後にこう言ってみせるのだ。

挫折した者にも、今立ち向かっている者にも心から拍手を送りたい。勇気を持って壁に挑む若者たちがいるからこそ、聳え立つ山は気高く美しいのだ 大崎善生「将棋の子」エピローグより

聳え立つ山とは、奨励会や、そのはるか先にある将棋界の頂点=名人のことである。
山の頂を見上げながら、そこに立つことは叶わず去っていった者たちの挫折と転落をメインテーマに据えておいて、最後の最後にそんな感想はないだろう?冷静に考えるとそんな気もするが・・・・(^^; それでも直感的にいわせてもらえば、この結論は正しい。自分のような馬券オヤジが、競馬の世界に魅せられてしまう心情と非常に近いものを感じるからだ。

筆者の大崎善生氏は、元日本将棋連盟で「将棋世界」など専門誌の編集に携わっていた人。将棋ものの作品では、夭折した天才棋士を主人公にした「聖の青春」が有名。などと紹介すると、かなりオッサンくさいキャラを連想してしまうが(笑)「パイロットフィッシュ」など若い女性に支持された青春小説の傑作を世に送り出している。奥様は、元女流棋士の高橋和さん。いいなあ、うらやましいなあ(笑)そんなオヤジに、私も憧れます。

6月 9, 2005 書籍・雑誌 |

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